小説 | ナノ

距離を埋めるまで　

　社会人になったら付き合おうと決めていたのに妙な抵抗を見せられたせいで図らずも大学在学中、しかも遠距離でのスタートをきる羽目になってしまったのはひとえに物わかりの悪いなまえのせいだ。つうか普通気づくだろ、あの馬鹿と悪態をついても暖簾に腕押し状態でちっともこちらの心労なんか伝わらない。あの幼なじみにはいつも苦労させられるのだ。今だってしょうもないことでピーピー喚くせいで冷戦状態。すぐに機嫌はなおるとはいえ、昔からなまえはおれに対して怒ってばかりな気がする。
　例えば小学校のバレンタイン。友達と一緒に渡すと言うから見逃してやろうかとも思ったがクラスの男にはチョコを用意しておいておれにはなかった。それが釈然としなくて置いてあったチョコを食べたらひどく泣かれたのだ。泣きたいのはこちらだというのに聞く耳を持たないから仕方なくこちらが宥めてやった。
　学校だってなまえが先に中学に入ったから残りの小学校二年間はしぶしぶ一人で登校したが、おれも中学に入ればまた一緒に登校するだろうと思っていたのにやだよ、の一言で終わらせやがった。小学校の時はいつも一緒に行っていたのに薄情な女だ。それでもなにかと理由をつけて登下校は一緒にしたし、夏祭りもクリスマスも誕生日も正月もイベント事は常に一緒に過ごした。ここまでくれば最早気持ちは伝わっているだろうと確信めいたものがあったというのに高校生になったなまえの部屋を尋ねると別の男にラブレターなんか書いてやがった。思わず横から奪い取り破り捨てると馬鹿！！と罵倒しポカポカと殴ってきた。理不尽にも程がある。おれの気持ちを分かっていながら男にラブレターを書くなまえの方が余程馬鹿だ。おれが社会人になれば付き合ってやるから待てというのに。
　その後も紆余曲折あり、計画と違うタイミングではあったがなまえとおれは付き合い始めた。一貫して年上が好みだとかほざいていたのと、たった二個違いとはいえ、まあ確かに近所のガキと付き合うとなると周りの目も気になるかと配慮し、ならばせめて大人といえる年齢になるまではと我慢してやったのに結局想定より早く付き合うことになった。これなら我慢せずもっと早くに付き合えばよかったと重いため息を零す。
　と、まあ散々詰ってきたわけではあるがなんだかんだ産まれてからの大半想い続けてきた女なのだ。だったらなまえの望むことなら叶えてやろうという気概くらいはある。そんなわけでわざわざ夕日の見える海辺でキスをというなまえの望みを叶えてやろうと連れ出したのが先週の話。何故かこっぴどく怒られて電話しようがメッセージを飛ばそうが無視されているのが今の現状。
　人前でだとかなんだとか言っていたが周りはおれ達のことなんか見ちゃいないし、夏も本番のこの時期運良く浜辺で二人きりなど早々起こらない。かといって閑散期まで待てるかと問われれば否だ。即否定する。何が悲しくてやっと付き合えた女とキスをするのに数ヶ月待たねばならないのだ。こうなったら意地でも次会った時キスしてやると泊まりがけで行けるよう日程を組み、なまえの家まで来たのがついさっき。インターホンを押しても出ないのはアポなしで来たため仕方ないかとひとまずメッセージを送る。近くの店で時間を潰すかとすぐにメッセージに気づけるよう携帯片手にマンションを後にした。
　なまえからの返信は今まで無視してきたのはなんだったのかというほどに早かったが内容はこちらの意図しないものだった。
『今日実家帰ってるから』
　つまり、なんだ。無駄なすれ違いを起こしたというわけか。巫山戯るな。
　実家に帰る途中におれの現在住むマンションは建っている。正直ここに来るより実家に行く方が遥かに早く着くのだ。言ってくれれば実家におれも寄ったって良かったし、なんなら帰り際おれの家に来てくれたって構わなかった。イライラもピークに差し掛かり、とりあえず帰ってくるなら言えと伝えるためにコール音を鳴らす。三コール目でやっと出たなまえに開口一番何故言わねェと言うとしれっと言う必要ある？と返ってきた。あるだろ。

「実家に帰るならおれのところだって来れるはずだろ」
「今回は他に目的があったし会わなくてもいいかなって。それに今日明日で帰る予定だったし」

　これなのだ。二ヶ月かけてようやっと好きの一言を引き出せたものの、本当にそう思ってるのか疑わしくなってくる。どんなカップルも付き合って半年まではもうちょっと気持ちに盛り上がりがあるもんじゃねェのか。とことん幼なじみであった時と変わらぬ態度を貫くなまえにイライラと落ち着かない。

「それに今ラミちゃんのとこいるし、聞いてるかと思ってた」
「は？」

　思いがけず妹の名前が出たことに愕然とする。だからなんでおれではなく妹と会うのだ。そりゃこいつはおれの幼なじみで、ということは妹のラミとも幼なじみであるから、会うのはなんらおかしいことじゃない。同性同士とあってか昔から会うと二人で話していることも多かったのも知っている。だがおれという彼氏がいる状況で何故妹とだけ会うのかが理解できない。普通彼氏に会いたいと思うだろう。大体ラミもラミだ。言えよ、おれに。

「ごめん。ラミちゃん戻ってきたからさ、切るね」
「おい、待てっ……。クソっ」

　無慈悲にも電話は切られ、かけ直してもなまえは出なかった。ダメ元でラミにもかけてみたが同様でイライラした気持ちのままシャチに電話する。

「もしもーし」

　脳天気な声に苛立ちを助長させられたがそれをグッと堪え明後日も大学には行けねェから代わりにノートを取ってくれと頼んだ。友人も多いシャチに頼めば様々なツテを使っておれの取っている授業全てのノートを取ってくれるだろう。適当に今度メシを奢ると言って切りあげる。
　なまえがいない以上ここに用はないと近場のホテルをとることにした。明日は早めに帰ってこいとメッセージは入れたし、明日こそ話をつけてやる。
　その意気込みもやはりというか裏切られることになるのだが。

「遅せェ」
「いや、急に早くとか言われてもこっちだって用事があったから帰ってたわけだし、全部ローの予定に合わせられないから」

　大体三連休の二日目で帰ってきた意味考えてよ、明日はゆっくりしたいのとぶつくさ文句を垂れるのにここ最近溜まっていた苛立ちが爆発した。
　ソファに押し倒し暴れる体に体重をかけて押さえつける。何なのとか止めてとか否定の言葉ばかり飛び出してくるのも気に食わない。好きだと言ったくせに。あの時頬を赤らめはにかんだ姿は幻だったのだろうか。なまえと付き合えたことすらおれの思い込みなのではと疑心暗鬼になってくる。

「これ以上暴れるならこのまま抱く」
「えっ」

　宣言するとピタリと抵抗を止めるのも最早苛立ちの材料にしかならない。そんなに嫌かよ。どこまでも神経を逆なでされる感覚に耐えきれなくなり首筋に顔を埋めた。

「ちょっと！話が違うじゃない」
「黙ってろ」

　自分でも思った以上に低く冷たい声が出た。服の裾から手を入り込ませ滑らかな肌を堪能する。ビクリと身体を震わせようやく大人しくなったかと顔を上げると腕で顔を覆い泣く姿が目に入り頭に冷水をぶっかけられた様な心地になる。

「っ、おい」

　体を起こしてやり、とりあえず謝るかと口を開きかけた瞬間顔にクッションが飛んできた。さっき泣いてたのは嘘泣きかよ、てめえ。

「なんでそんな喧嘩越しなの」
「お前が怒らせるからだろ」
「意味わかんない。ちょっと前まで好きとか言って優しくしてくれたくせに。ローはモテるもんね、私のこと好きなんじゃなくて振り向かない女がいることが気に食わなかっただけなんじゃないの」

　売り言葉に買い言葉とは正にこのことで、おれは頭に血が登り、そうかもなと吐き捨てて家を出た。
　家を出て目的もなくフラフラ歩いていると携帯が震え、誰かからの着信を知らせた。もしかしてと淡い期待を抱き画面を確認するとラミからだった。仕方なく出ると軽快な声がかけられる。

「……なんだ」
「あっ。お兄様？旅行の話はできた？」
「旅行？」
「あれっ。聞いてないの？」

　何の話だと問い詰めるとどうやらなまえがラミに会いに行ったのはあまり話が出来ていないおれの為に旅行を計画していたかららしかった。うちでは毎年お盆に家族旅行に行っていたため、今年の予定はどうか聞きに行っていたのだという。ついでに久しぶりに積もる話をする目的もあったようだが。

「お兄様またろくに話聞かないまま責めたでしょ」

　妹にまで呆れられたが今回ばかりはおれが悪い。なまえもなまえなりにおれとの事を考えていてくれたというのに聞く耳を持たなかった。
　終話ボタンを押して舌打ちをし、急いで元きた道を走る。その間電話を鳴らすもなまえは出なかった。
　今度はインターホンを鳴らさないまま家に上がり込み、ソファでふて寝をしているところを叩き起した。

「おい、おれに話すことがあるんじゃねェのか」
「………………」
「……今なら話聞いてやるから起きろ」

　全面的に自分が悪いと反省はしているが態度に出せるかはまた別の話だ。これでも最大限譲歩しているというのは長い付き合いでなまえも分かっているだろう。顔をクッションに埋めたままなまえがボソボソと話し出した。

「めんどくさいでしょ」
「はァ？」
「めんどくさいと思ってる」
「話に脈略がねェ。お前の話はそんなんじゃねェだろ」
「ほら、めんどくさがってる」
「……はァ。面倒くさがってねェから、起きろ」

　体を揺さぶっても一向に起きる気配がない。これは長期戦になりそうだとソファの横に腰を下ろした。

「ローが思ってるほど私大人じゃないの」
「知ってる」
「子供っぽくてめんどくさいの」
「……だから？」
「ロー、もう私の事好きじゃないかなって」

　つまり、こいつは。おれがもう冷めていて、だから怒っているとでも思っているのか。勘違いも甚だしい。好きだからこそキスも出来なければこうして一緒にいられる時間が少ないのに苛立っているのだ。

「好きじゃねェのはお前の方じゃねェのか」
「そんなわけっ」

　ここでようやく体を起こしたおかげで今日初めて目が合ったというのになまえは気づいているのかいないのか。今度は嘘泣きではなく目にうっすら涙を溜めているのに気づき、そっと合わせるだけのキスをすると途端に顔を真っ赤にするからおれもつられてしまいそうになる。

「悪かったな」
「……え？」
「夕日が沈む中、浜辺でキスがしたかったんだろう」
「へ？　何の話？」
「何の話もなにも、おれが初めてここに来た時言ってたろう」
「えー……。ああっ、あれ？ごめん。それはあの時キスされないようにって、咄嗟に……」

　こいつ、自分の発言を忘れてやがったのか。ここでようやく合点がいったとばかりの反応にもう我慢してやる必要はないと判断しもう一度キスを迫った。昔から何度も想像したキスは想像の中よりずっと甘美でやみつきになりそうだ。ゆっくり唇を離し、至近距離で見つめあっているとふにゃふにゃに緩みきった顔で大好きとぬかすせいでとうとう我慢が効かなくなり押し倒す。これ以上はダメ、シャワーも浴びてないと手足をばたつかせるのを戯れで抑えつけた。さっきと違いそこまで体重をかけていないからかあっさり起き上がり目を逸らすこいつの耳を悪戯に食んだ。大袈裟なまでに肩を揺らし文句を言ってくるのがおかしくて先程までの怒りはどこへいったのか笑いが込み上げてくる。こんな単純なことで気分が上向くくらいにはおれはなまえに惚れているのだ。
　だったら旅行までに覚悟決めとけというと、なんでその話と顔どころか全身を真っ赤に染めあげた。そんな表情がころころ変わるさまが可愛くて、おれは昔からずっとこいつから離れられないのだ。

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